安倍文珠院

私は生まれた時から阿部だった。
自分が阿部であるということを認識したのは
幼稚園のお誕生日会の時だった。
比較的奥ゆかしい性格の私は、お誕生日会で自分の名前を高らかに宣言することが
とても恥ずかしいことであると感じていた。
そして特に理由もなく、私はなぜ「阿部」なのかという
あらぬベクトルの悩みを抱え、なんの落ち度もない両親を恨んだものだった。

阿部という苗字を分析してみる。
まず、バリエーションが豊かである。
「阿部」「安部」「安倍」の三大アベが拮抗した勢力争いをしており、
健全な競争性を有している。

なかなかに偉人も多い。
安倍晋三首相をはじめ、野球界の阿部慎之助、文学界の安部公房
歴史上の人物では、阿倍仲麻呂安倍晴明と錚々たるメンツである。
外国人にも「アベべ」さんがいる。
なお、アヴェ・マリアの「アヴェ」は「こんにちは」という意味らしい。

また、ほどよい配置である。
あなたの周りに「アベさん」はいるだろうか。
おそらく学年に一人というレベルでいるのではないだろうか。
このだれでも一人は「アベさん」の知り合いがいる程度の配置が
じつにちょうどいい。

そして、ストーリーもよい。
東北地方には「阿部」が多い。
これは、平泉の奥州藤原が滅びる際に、
逃げ延びた人々が故郷をしのび、その地名である「阿部」を
名乗ったといわれている。
私の父も祖父も、我が家の家系図を辿っていくと、
奥州藤原にたどり着くと信じている。おこがましいことだが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「阿部」という地名は、現在の奈良県桜井市に残っている。
その中心には「安倍文珠院」がある。

安倍文珠院の起源は、孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が645年に安倍一族の氏寺として建立した「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)であるとされている。
本堂と文珠池の中に立つ金閣浮御堂が印象的な美しい境内である。
静寂な空間につつまれ穏やかな気持ちになる。
駐車場付近に売店があり、土産物を販売している。
なぜか、焼き立てパンも売っている。

f:id:dragon0804:20171021151200p:plain


安倍晴明もこの地で修行されたとされ、金閣浮御堂内には晴明由来の寺宝がたくさんある。
陰陽師にまつわるエキセントリックな代物もあるので必見である。

 

本堂に安置されている、文殊菩薩様は快慶の作であり、日本三大文珠の一つに数えられている。

f:id:dragon0804:20171021151249p:plain

 

獅子にまたがる文殊菩薩様は、優しい顔の中に秘める知性を感じさせる、
非常に美しい仏像である。

f:id:dragon0804:20171021151336p:plain


写真で見るとなかなか伝わらないが、かなり大きい。
脇侍がおおむね等身大だと思っていただくとイメージがわくだろうか。
この文殊菩薩様を前にすると、すべてを見透かされたような気持になり、
うしろめたいことは、金輪際やめてしまおうという決意をさせられるような気がする。
なお、私にうしろめたいことがあるかどうかという議論は、3光年先に飛ばしておく。

拝観の際には必ずお寺の方が、文殊菩薩様の由来やご利益を説明してくれるが
このお話がたいへん分かりやすく心に残る。また、拝観に先立ってお抹茶の振る舞いがある。

f:id:dragon0804:20171021151048p:plain
「らくがん」というお菓子が添えられているのだが、それが絶品である。
立ち寄る際には、十分に時間をとって、ごゆるりと拝観してほしい。

ご住職(「アベさん」ではない)の話の中で、
「今もなお、安倍文珠院は地域の方々の駆け込み寺であるので
24時間門は開けておくんです。」というお話があった。
奈良時代から変わらず、安倍文珠院は地域の中心なのである。
奥州藤原氏が夢見た故郷は、今もなお、往時の面影を残し、そこにあった。

今現在アベさんの方も、かつてアベさんであった方も、
これからアベさんになる方も、
アベのルーツを感じるために、一度は、安倍文珠院の文殊菩薩様をお参りしてはいかがだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今では私はすっかり「阿部」という苗字を気に入っている。
というか「阿部」であることの影響をどっぷり受けている。
プライドに近いものかもしれない。
人の名前にはそういう魔力があるような気がする。

青森には「阿保(あぼ)」という苗字もある。
高校のチームメイトである賢い巨人も阿保だった。
一字違いだがなかなかの違いである。

自分が阿保であったらどういう人生だったかは分からない。
しかし、「阿部」であってよかった。特に理由はなくそう思うのである。