飛鳥大仏
最近褒められたのはいつですか。
私は、怒られた記憶はいくつかあるが、褒められた記憶というのは、
ずいぶんさかのぼらないと思い出せない。
野球をしていた頃は、グローブを投げつけられたり、胸を思い切りグーパンチされたり、たくさん怒られたものだが、その分いいプレーをした時には褒められたものだ。
※ 最近の高校野球の行き過ぎた指導への反発の声を受けてか、先日偶然に結婚式で出会った当時の野球部の監督は、「高校時代に俺から受けた仕打ちを誰にも言うなよ(笑)」と、冗談を言った。私は当時こそ、幾度か反発したものの、今となっては、監督に指導された一つ一つが私の血となり肉となっている実感がある。監督の寂しそうな背中を見ると、たくさんの声はあれど、高校野球から厳しい指導を奪わないでくれと個人的には感じてしまう。
今の私が褒められなくなったのは、私の職業上しようがない部分がある。
公務員という仕事は、皆さんの「あたりまえの生活」を維持することが、何よりも求められる。「あたりまえの生活」を送っている人は特に声を発しない。「あたりまえの生活」が破壊されたときに、大きな非難とともに我々に声が投げかけられるのだ。
縁の下で「あたりまえの生活」を維持しながら、サンドバッグのようにボコボコに殴られる、相撲部屋の柱のような存在だ。
と、ここまで様々書いたが、私は今の仕事に不満があるわけではない。要するに、怒られはするものの、褒められる機会が少なくなったという客観的な事実を述べたかったのだ。
私には3歳になる息子がいるが、子供というのはすぐ体がかゆくなり、皮膚科のお世話になる。
先日、妻にお留守番をしてもらい、息子を皮膚科へ連れて行った。そこの皮膚科の先生は大変厳しいお方で、前回来た時よりも息子の皮膚が悪化していたため、たいそう怒られた。
また怒られた…しかも私生活で…とご褒美にドーナツをかじる息子を横目にじわわと涙をためて帰宅した。
その2週間後、我々夫婦(9割方妻)は、必死に息子にクリームを塗りたくり、息子の皮膚はかなり改善したような気がした。またしても、妻に留守番をしてもらい、息子を皮膚科に連れて行った。なぜだか待合室では私が緊張した。
「阿部○○さーん」
息子の名前が呼ばれた。おそるおそる診察室に入り、先生に息子の腹を診てもらう。
「…阿部さん…頑張りましたね♪」
先生は満面の笑みで言った。それがお褒めの言葉であることに数秒間気が付くことができなかった。そして私はなんだかじわわとしてしまった。
このツンデレ女医め。
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飛鳥寺は奈良県の真ん中付近、明日香村にあるお寺だ。蘇我馬子が作ったお寺とされ、その歴史は1400年以上である。
その飛鳥寺のご本尊は飛鳥大仏と呼ばれる仏像で、東大寺の大仏よりずっと昔に作られた。
この飛鳥大仏は、仏教が日本に渡来した当初に造られたものだけあって、どこか異国の雰囲気を感じさせる(法隆寺の百済観音などもそうだが、やはり仏像にもお国柄が表れるようだ。)。
この仏様のお顔は、飛鳥時代の仏像固有の微笑み、いわゆるアルカイックスマイルで、目は笑っていないのだが、口元の感じでなんだかとても優しく語りかけられている気分になる。
飛鳥大仏は推古天皇の時代に渡来人によって作られた。
飛鳥寺のご住職の植島さんは、
「難しい時代になっているのはわかりますが、日本に仏教が広まり、文化が広まったのは、中国・韓国から来た渡来人の方々のおかげであることを日本人は忘れるべきではないと思います。」
とおっしゃっていた。
飛鳥には、日本という国の黎明期がどんなに国際性があって、文化的受容性があったかを感じさせる空気が流れている。
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私は、初めてこの大仏様のお顔を見たとき、なぜだかツンデレ女医の顔を思い出した。
大人でも褒められるってうれしいことなんですよね。
褒められないのが当たり前になって、そうすると自分でも他人を褒めることができなくなって、どんどんギスギスした関係になってしまう。ささいなことでも、お互いに褒めあえる人間関係を作って行きたいですね。
だから、今後私に接してくれる人はできるだけ私のことを褒めてください。