鴨都波神社のススキ提灯献灯行事

 

※以下には30歳手前男子の過去の思い出に浸るオチのない文章が含まれていますので、閲覧される際は有意義な内容を期待せず、批判することのない生暖かい気持ちでご覧ください。

 

僕の生まれた町に小さな神社がある。

僕は部活が休みの日に夜な夜なランニングに行くと称してその神社に通っていた。部活が休みの日までトレーニングするなんて、両親はさぞかし勤勉な息子だと思ったことだろう。勤勉で優秀で優しくてイケメンで非の打ち所がない息子なのは間違いではないが、部活が休みの日にランニングに勤しむほどマゾヒスティックではない。

神社の近くには中学校の同級生の女の子が住んでいた。

神社の脇の小高い丘の上で待ち合わせをしては、好きな音楽の話や高校生活の悩みなんかを話した。

中学時代に特段仲が良かったわけでもなく、あまり話をしたこともなかったが、ひょんなことからそんな夜の密会をするようになった。

恋に恋い焦がれて恋に泣いていたグロリアスな高校1年の夏である。もちろん下心しかない僕は、森博嗣が深いとか、コルツのマニングが凄すぎるとか、自分がカッコいいと思う話題を湯水のごとく提供していたのだが、今思い返すと、エスプレッソ用のカップに薬缶で麦茶を注ぐような無粋さに赤面する。それでも、彼女は「ふーん、そうなんだー」と優しく話を聞いてくれた。高校野球の気違いな練習量や厳しい上下関係に多少嫌気がさしていた僕にとって、その女の子との時間が唯一の救いの時間だった。

一度だけその女の子と夏祭りに出かけたことがある。夜の河川敷にレジャーシートを敷いて、二人で寝そべって花火を見た。

一組の花火が終わって、次の花火が打ちあがるまでの間、僕たちは流れ星を見た。たくさんの流れ星が消えていった。本当にたくさんの流れ星だった。僕は一生分の流れ星をあの時に見たような気がする。その時の願い事はなんだったんだろうか。それが卑猥なものでなかったと信じたい。

そんなロマンチックな夜に、下心は溢れちゃうBe in Loveであり、キスのひとつでもしたかったのだが、無類のチキンガイである僕は「きれいだねー」と間の抜けたことを言うだけで、そのままバイバイしてしまった。帰り道でつないだ手は、夏なのに暖かくて気持ちよかった。

結局その女の子とは日々の生活の違いから(実際のところは薬缶から注がれる麦茶に嫌気がさしたのだろうが)次第に疎遠になって、自然に連絡をとらなくなってしまった。当然ながら僕の神社へのランニングも終わりを告げた。

苦いのか甘いのか分からないよく思い出だが(読んでくださっている方にとっては本当になぜこんな文章を読まされるのかよくわからないであろうが)、今でもふとした時にその光景が蘇ることがある。

思い出に浸るわけではないが、こんな思い出の数々が忙しい毎日でも、僕が狂うことなく生き続けられる支えになっているんだろうなと最近よく思う。

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鴨都波神社は奈良県の中西部、御所市にひっそりと佇む神社である。

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その起源は飛鳥時代よりもさらに古い崇神天皇の時代に遡る。古代の大豪族・鴨氏の氏社であり、京都の賀茂神社(上賀茂神社下鴨神社)をはじめとする全国のカモ(鴨賀茂加茂)神社の源流の一つとされている

鳥居、社殿、社務所がいい雰囲気に配置されたコンパクトな境内だが、神社特有の蜘蛛の巣が張ったような感じは一切なく、清潔感のあふれる佇まいから、この神社が町の人にとって大事な場所であることがわかる。

この鴨都波神社の夏と秋の大祭では、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願して「ススキ提灯献灯行事」が行われる。

秋田の竿灯をこじんまりとさせたような形のススキ提灯が、夜の境内に続々と入ってくる。

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持ち手は歩くのも精一杯のおじいちゃんから、筋骨隆々の若者まで様々だが、集落が一体となって大事にススキ提灯を自分の地域から神社まで運んでくる。すっかり暗闇に包まれた境内に提灯の明かりが一杯になる様は、初めて見る光景のはずなのに、どこかしら懐かしさを感じる。

時刻は夜8時、境内がススキ提灯で一杯になったころ、太鼓衆の太鼓が響く中ススキ提灯の練り回しがはじまる。自治会単位で所有されているススキ提灯を各自治体ごとに手に乗せ肩に乗せ、走り回りとてもエキサイティングな演技が披露される。自治会ごとに演技の質には差があり、おじいちゃんばかりが持ち手の自治会や、若い持ち手であっても技術に難のある自治会があり、地域の高齢化の状況やつながりの濃度が散見されて興味深いものだった。

1部2部に分かれた自治会の練り回しが終わると、若衆会の登場である。太鼓のリズムが変わり、周囲の期待の空気が高まったところで、高校生にも見える若者達の演技が始まった。これまでの演技とは全く違う迫力で、重さ15キロのススキ提灯をいとも簡単に振り回し、二人の

演者が回りながらぶつかる寸前に回避したり、いとも簡単に投げ飛ばしたりする。

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それはもはや祭りの行事の域を超えたプロの技であった。一体どれほどの練習を重ねたのであろうか。各人仕事もあるなかで、この練度を保っている伝統行事は僕は他に知らない。

今回がデビューの演者もいたのだろうか、引退したベテランとおぼしき人がしきりに励ましながら安全確保の警備をしている姿が印象的だった。

最後に神輿を若衆会が曳き回して祭りは終わりを迎える。

パラパラと町の人が家路につく中、本殿の前には昔話を小学生に伝える老人がいた。

「あいつが初めて提灯を持ったときはね…」

子供たちの顔はキラキラしていて、まぶしくて目をそむけてしまった。

帰り道には、浴衣を着ておめかしした女の子と、Tシャツの男の子が手をつないで歩いていた。

二人の顔は少し紅潮し、提灯と一緒に神社を染めていた。

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神社は常にそこにある。過ぎ去っていくのは僕たちだ。

素敵な思い出を残してくれた神社に僕は何ができるだろうか。

きっと何もできないだろうなという無力感を感じつつも、頭に浮かぶのは3歳の長男と生まれたばかりの長女がこれからどんな場所で素敵な思い出を作っていくだろうかということだった。

自分のいい思い出となった出来事が、子供たちのいい思い出となる出来事だと考えるのはエゴイスティックだが、それでも僕はそんな場所を子供たちに残したいと思うエゴイストである。